青年期

作家、作詩家、脚本家、政治評論家。

1920年(大正九年)二月二十六日、北海道函館市にて出生。本名、潔。

幼時に父が得度し、小寺で育つ。高等小学校卒業後、社会に飛び込む。家具店、製氷所、炭鉱夫等を経験し、社会的弱者の悲哀を目の当たりにしたことが後の創作活動の原点となる。

十七歳で上京し、肉体労働や新聞配達に従事しつつ、独学で脚本術を勉強。やがて日活の企画部長に認められ、同社撮影所に入所する。その後東宝に移り、秦豊吉支配人や円谷英二撮影所長の下で研鑽を積む。同じころ、文学者中河与一主宰の同人誌「文芸世紀」に戯曲『蟹と詩人』を、「北海道文学」に小説『おゆき』を発表し、作家活動も始める。文豪太宰治や文学者富沢有為男らと交友し、小説『哀怨の記』で第一回福島県文学賞を受賞。

戦後、政府の対応が遅れていた海外抑留者の引揚げ運動や戦没者の遺骨収集活動に従事し、その過程で政界人の知遇を得る。海外抑留者家族の苦難を描いた小説『生きる葦』を上梓し、著名代議士らから高く評価される。

1950年代から数多くの映画やテレビドラマの原作や脚本を手がける。代表作は1958年に原作・脚本・主題歌作詞を務めた『月光仮面』で、社会現象とも言える大人気番組となる。最高視聴率67.8%を記録し、日本国の特撮ヒーロー作品の始祖として後世に多大な影響を与える。

1960年代より歌謡曲の作詞も行う。第二回日本レコード大賞を受賞した『誰よりも君を愛す』をはじめ、第二回日本作詩大賞を受賞した『花と蝶』、紅白歌合戦で八回にわたり披露された『おふくろさん』、『恍惚のブルース』、『伊勢佐木町ブルース』、『骨まで愛して』、『君こそわが命』、『逢わずに愛して』、『熱祷』、『愛は不死鳥』、『愛は惜しみなく』、『愛ひとすじ』など、愛は情死なりをテーマに数多くの名歌を世に送り出す。

1970年代には子どもらへ再び目を向け、『月光仮面』のアニメーション化や『愛の戦士レインボーマン』等の特撮ドラマに携わった後、1975年から後期の代表作である『まんが日本昔ばなし』を手がける。作品の構想から放送の実現まで主導し、数多くのエピソードの監修や、主題歌・エンディングテーマの作詞も行う。

老年期

佐藤栄作内閣で政策顧問を務めて以降、歴代首相に水面下で助力や助言を行う。特に福田赳夫首相、竹下登首相とは公私にわたり親しく交流を持った。晩年は、亀井静香元大臣との親交から国民新党顧問に就任。薬害肝炎問題等に関し、福田康夫首相になした助言が最後の活動となった。

筋の通った人間であれば信条に拘らず付き合い、右翼運動家の児玉誉士夫や左翼活動家の竹中労らと等しく親交を結んだ。職業に貴賎なしという信念から、同時期に警視庁機動隊に『この世を花にするために』、暴力団稲川会に『稲川同士会の唄』を贈り、物議を醸したこともある。

2008年(平成二十年)四月六日、青森県八戸市で死去。戒名は「生涯助ッ人」。同年、日本レコード大賞特別功労賞及び日本作詩大賞特別賞を受賞。