月光仮面
日本国における特撮ヒーロードラマの始祖として後世に多大な影響を与えた作品。
1958年(昭和三十三年)に開始し、およそ一年半にわたり全国で放送された。制作は宣弘社で行われ、新進気鋭の俳優・大瀬康一が主演した。劇場版の製作も決定し、東映により全六作が上映された。
団塊の世代の少年たちを中心に大人気を博し、社会現象とも言えるヒット作品となった。平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%を記録している。月光仮面の真似をする児童の姿が日本中で見られ、放送時刻には銭湯から子どもの姿が消えたとまで言われている。
本作の登場以前、日本のテレビ局は少ない外貨を費やし海外のヒーロー作品を輸入して放送していた。これを憂いた川内康範によって生み出された国産ヒーローが月光仮面である。その世界観には、寺育ちを通し培われた彼の仏教的素養が反映されている。本作を機に広まった「正義の味方」という概念も、正義そのものになれるのは神仏のみであり、人は脇役にしかなれぬという康範の哲学に基づいている。作品のテーマは「憎むな、殺すな、赦しましょう」であり、これは戦争の痛みを知らない世代に対する警告でもあった。
月光仮面は、わが国における正義の味方たちの父とも言える存在であり、その理念は今日も数多のヒーローたちの中に息づいている。<引用画像:©川内康範・宣弘社>
まんが日本昔ばなし
日本の各地には心温まる昔話が、数多く存在していた。しかし一九七〇年代の初め頃までは、それらはただ埋もれているだけの文化となっていた。世界に誇れるような素敵な話がこんなにたくさんあるのに、放っておかれたまま、誰も何もしようとしていなかった。母が語る昔話は、いずれはそれさえ忘れ去られ消えゆく運命であったに違いない。(川内康範『おふくろさんよ 語り継ぎたい日本人のこころ』マガジンハウス、2007年より)
この仕事の狙いは、埋もれ、忘れ去られつつある日本の伝承文化を発掘し、光をあてることにあった。ただ文字で伝えるだけではなくて、映像にして、昔の世の日本には温かい人がいたんだということを残したかった。人々にやすらぎをあたえよう、将来にやすらぎを保証されるような日本にしたいという願いで始めたんだ。(川内康範『生涯助ッ人回想録』集英社、1997年より)
この作品作りは、私にとってライフワークそのものであり、かなりの気合いをもって取り組んだ。(『おふくろさんよ 語り継ぎたい日本人のこころ』より)
国民的知名度を持つ、川内康範の後期を代表する作品。
1975年(昭和五十年)に開始し、1994年(平成六年)まで全国で放送された。
日本の各地に伝わる昔ばなしを親しみやすいアニメーションにし、名俳優である市原悦子と常田富士男の両名がすべてのエピソードに声をあてた。製作テレビ局は毎日放送で、グループ・タック社が映像の制作を担った。
子どもを背に乗せた龍が空を飛ぶオープニングアニメーションは有名で、本作の主題歌を作り上げた作詞:川内康範と作曲:北原じゅんの両名は、1966年に大ヒットした歌謡曲『骨まで愛して』をはじめ、1972年の特撮ドラマ『愛の戦士レインボーマン』など、数多くの楽曲を共に作り上げてきた盟友である。
康範は本作の構想から放送の実現までを主導し、妻であった川内彩友美らがこれを補佐した。政財界の人脈を駆使してスポンサーを探したほか、主なスタッフの選定や一話辺りの制作費といった各種の予算など、重要事項の大半を自らで決定した。
放送開始後は、監修者として数多くのエピソードに携わった。映像の完成度なども厳格に確認したといわれている。主題歌の作詞に加え、1975年の放送開始時から1982年まで用いられた三つのエンディングテーマの作詞も行っている。
杉井ギサブロー監督、前田庸生監督、小林三男監督、田代敦巳監督(音響)、沖島勲監督(脚本参加)といった優れたスタッフらの活躍に支えられ、本作が軌道に乗るまで時間はかからなかった。すべての視聴者と参加者、あまねく日本人の共有する作品となっていった。やがて元号が昭和から平成へと変わるころ、身体の不調などもあり、康範は本作の一線より身を引いた。<引用画像:©愛企画センター>
歌謡曲・主題歌
昭和時代中期に数多くのヒット曲を世に送り出した。
特に人気を博したと考えられる楽曲を発表順に列挙する(敬称略)。
- 『誰よりも君を愛す』
- 『骨まで愛して』
- 『恍惚のブルース』
- 『君こそわが命』
- 『伊勢佐木町ブルース』
- 『花と蝶』
- 『逢わずに愛して』
- 『おふくろさん』
また、『熱祷』(作曲:小野透/編曲:佐伯亮/歌手:美空ひばり)、『愛は不死鳥』(作曲:平尾昌晃/編曲:小谷充/歌手:布施明)、『愛は惜しみなく』(作曲:宮川泰/歌手:園まり)、『愛ひとすじ』(作曲:北原じゅん/編曲:小谷充/歌手:八代亜紀)などの楽曲も、記念コンサートで披露されるなど人気の高い作品である。紅白歌合戦において、作詞した楽曲が三十回近く歌唱されている。
主題歌も数多く手がけており、『月光仮面は誰でしょう』(作曲:小川寛興/歌手:近藤よしこ&子鳩くるみ会)と『にっぽん昔ばなし』(作曲:北原じゅん/編曲:小谷充/歌手:花頭巾)が殊に高い知名度を得ている。時代劇映画『座頭市』シリーズの主題歌『座頭市の唄』(作曲:曽根幸明/歌手:勝新太郎)も著名である。
小説、脚本、政治評論
上掲のほか、小説(純文学・大衆小説)、脚本(映画・特撮・ドラマ・アニメ)、政治評論などを幅広く手がけた。
『月光仮面』はテレビ放映と同時に原作小説の刊行や漫画の連載もなされ、今日でいうメディアミックスの最初期の例であった。小説版の執筆、漫画原作ともに川内康範本人が行っている。漫画版(作画:桑田次郎)は、当時少年向け雑誌の最高峰であった講談社の少年クラブにおいて看板作品であった。
小説の代表作は、第一回福島県文学賞を受賞した『哀怨の記』、海外抑留者家族の悲惨な実態を描いて著名代議士らから高く評価された『生きる葦』、戦時中の日本を舞台にアイヌと本土人の軋轢と融和を描いた『駆落ち』、終戦直後から追求を続けてきたテーマによる作品で映画化もなされた『花の特攻隊』などが挙げられる。
脚本の代表作は、作品の芸術性が高く評価された映画『東京流れ者』(主演:渡哲也)や大成功を収めてシリーズ化した『銀座旋風児』(主演:小林旭)、日本初のマリオネット映画『ラーマーヤナ』、日本初のフィルム収録テレビドラマ『ぽんぽこ物語』などである。
特撮作品は『月光仮面』の知名度が格別に高いが、その後に放送された『七色仮面』、『アラーの使者』、『愛の戦士レインボーマン』、『ダイヤモンド・アイ』、『コンドールマン』も高い人気を得た作品である。『月光仮面』と『レインボーマン』は後にアニメーション版も作られた。
昭和の時代が終わりを告げてからは、昭和の精神に殉じたかのように創作量が減っていった。政界との交誼は変わらず続け、新聞や雑誌へ政治評論を寄せることが文筆の要となった。清和・経世両会の後見人を自任し、絶えず国家の行く末を案じていた。妥協を許さぬ筋の通った論旨に定評があり、晩年まで精力的に執筆を続けていた。